読書。“坂の上の雲 ”。ただいま、2巻。
2日ほど前から、第2巻に 入っている。
ちょうど今、前半の “日清戦争”の くだり。
司馬遼太郎作品を 読むのは、初めてのこと。
よって、この高名な著者の 思想的傾向について、全く知らず。
あくまでも、その白紙の頭での感想。
司馬博士を自認する方が これを見れば、笑止であろう。
その点、“素人の戯れ言”と ご寛容願いたい。
“戦前の日本”。
その正義の在りか、また真実の有無。
これを論じることは、あまり好まれない。
未だ、“第二次大戦の敗戦国”で あるが故に。
― これは“普天間”で 揺れる昨今、再認識せざるを得ない。
米国に対し、“対等”など ありうるものか。
目前の小さな利益を論じて、“外交” するは恥である。
基地周辺の方々には気の毒だが、
“敗戦、占領”の 事実は 未だ消えるべくもなく。
誰が考えても、“移転先”は明らかなはず。
先延ばしなど、幼稚な逃げ口上。
国際社会に対し、恥さらしもいいとこ。
ただでさえ、“ねじれ国会”の時分。
国際的な重要案件が、
“スピーディー”に決められない国。
十分、そんな恥をさらしたのに。
今は、ねじれてないのに決まらない。
やっぱ、今も実はどっかがねじれてる?
そういうコトかね。
“核の密約”暴露。
そんな過去はいいから、今。
断固持ち込ませず!と、言えるのだろうか。
その覚悟があるのだろうか?
危険な “思い上がり”。
常に米露中の掌中にあり、
“敗戦の辱”を 麻痺させている。
それに過ぎない のではないか。
大戦直後。
露中が共産主義であったがために、
“反共の防波堤” としての価値。
日本が 国家分断を免れ、
早々に “独立”を回復したのは、
その一点に尽きるのでは?
ならば、それだけで幸いな話である。 ―
…随分と、“坂の上の雲”から 脱線した。
この “敗戦国たる日本” という状況下。
著者は 思想的に偏らず、
客観的に “戦前”を 描いていると感じる。
それも。
小気味よいほど “活き活きと”。
列強帝国主義の台頭 における、アジアの占める 位置。
維新後の日本文化の 急速な欧化。
そして。
日清、日露戦争へと “突き進んだ” 道。
それを 讃えるでもなく、批判するでもなく。
決して、卑下もせず。
ただただ。
“時代の持つエネルギー”の 発現。
著者は、それだけを写し取ろうとする。
そう思えるのだが…。
そして。
正しく、“それ”は 今の我々に欠けているもの。
若しくは、エネルギーの向かう方向を 定められずにいる。
そうでは なかろうか?
ハイ???
自分でも、よく分かんなく ナリマシタ!
何 書いてんだろねェ???
おしまい、おしまい。
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